聞き書 岡山の食事 瀬戸内沿岸・島しょの食より
春の光とともに海も活気をおびてくる。春は魚の産卵期、錦海湾は幼魚であふれ、浜に出ると目の前を泳いだり、跳ねたりする。三月に入ると、海があけ、人々は待ってましたとばかりにいっせいに漁に出る。老人や子どもも浜に出て貝掘りをしたり、のりや海草とりをする。漁に出た舟の帰りを待つのも楽しみで、石がになどは、ごうとうかご(一抱えもある深めの竹かご)一杯もとれ、ただでもらえる。当然のことながら、冬にくらべ、春の食卓には魚貝類が毎日のように出る。
農作業のほうもいちだんと忙しさを増す。彼岸までには、きんかいもの種いもを伏せ、四月末までになんきん、すいかの苗をつくり、五月に入ると育てた苗の植付けと換金作物の栽培がはじまる。五月中旬には稲の苗代つくり、麦の穂が出る前のしょうやくをし、六月には麦刈りと、息つくひまもない。
このような忙しい農作業の合い間をぬって、主婦は夏から初秋にかけて食卓にのぼる夏野菜や豆類の種播き、苗つくりをしなければならない。冬の間、家事をしながら考えておいた栽培計画を実行に移すのである。きゅうり、なす、うり、かんぴょう、ごぼう、ほうれんそう、里芋、小豆、ささげ、うわなどである。ごぼうの種播きは、柿の葉に種が三粒包めるころが適期だと親から教えられている。米や麦のかわりに食べるさつまいものつるを出させるのも春で、忘れてはならない大切な仕事である。
茶の子は、あいかわらず、前日の残りの麦ごはんのお茶漬に、こうこと小味噌である。
昼飯は、暖かくなり、畑仕事が忙しくなると、食事のために家に帰る時間も惜しみ、田畑のあぜでとることが多くなる。温かい麦ごはんの入ったおひつ、煮ものや漬物を盛った大鉢と茶わんやはしを大きなたつ(わらで編んだかご)に入れ、片方のたつには孫を座らせ、おうこで担って、子守りをしながら昼食を運ぶのは老人の仕事である。田や畑のあぜには食事をするところがきまっており、簡単に石で囲んだ小さなくども設けられている。
黒い大きなやかんやどびんでたくさん番茶をわかし、たちうおの干ものなどを火であぶりながらとる食事は、とてもおいしいものである。そして、近くの畑にいる人たちとも話の花が咲く。おかずは、冬とあまり変わらないが、野菜の煮もの、そらまめの煮もの、たちうおの干もの、しゅんぎくのおひたし、でんぶ、こうこなどである。
漁に出ると、舟の上で昼食をとることもある。いかの巣曳きなどは一日がかりである。舟の上で白米のごはんを炊き、とりたての魚のいりものをおかずに食べる。舟の上の食事は白米のごちそうである。
お茶ずも、やはり畑のあぜでとる。麦ごはんのお茶漬に、昼食の残りものである。こうこは、お茶ずのためにも大鉢にたくさん持っていく。
夕飯には、浜に出て掘ってきたあさりや藻貝を使って、あさりのおつゆや、ねぎと藻貝の酢味噌あえをよくつくる。そして、大魚に混じってとれたいいだこや、とんきょう(べか=べいか)、はぜなどの小魚類のいりものも、食卓によく顔を出すようになる。
また、冬の間いも壺に保存しておいたさつまいも、大寒を利用してつくったねじ干し大根、切干し大根は、暖かくなるにつれてにおいが高くなってくるし、腐りはじめるので、早く使うように心がける。かゆやぞうすい、うけじゃの中へさつまいもをよく入れる。うけじゃとは、炒って粗びきにしたそらまめとさつまいも、米を一緒に炊いたものである。そして、ねじ干し大根の味噌汁、切干し大根の味噌あえ、切干し大根とかにの煮もの、小魚を用いたなます、しゅんぎくのおひたしなどが夕食のおかずとしてよく用いられる。
おやつには、大寒に搗いて干しておいた、あられやおへぎ(へぎもち=凍りもち)を炒ったり焼いたりして食べるほか、炒り豆、炒りかんころ(生干しさつまいも)などを食べる。
出典:鶴藤鹿忠 他編. 日本の食生活全集 33巻『聞き書 岡山の食事』. 農山漁村文化協会, 1985, p.25-27