聞き書 新潟の食事 頸城海岸の食より
春の訪れを祭り法螺貝で迎えるこの季節には、能生の白山祭りや筒石の水島磯辺神社の祭りがある。祭りには親類や縁者が遠くから集まってくるので、それを迎える地元でも、心をはずませながら、早くから準備にとりかかる。漁師は、この祭りのために一週間も前から能登にあら(すずき)漁に出漁し、あらを満載して、祭りの前日にもどってくる。
■能生白山祭り
「能生祭り」とも呼ばれ、四月二十三日の宵祭りにはじまり、二十四日に本祭りが盛大に行なわれる。神社は能生町大字能生と大字能生小泊部落の間の海を見下ろす小高い丘にあり、古い伝統を持つ社として有名である。その祭りは古式にのっとって進められ、宮座制(神社を中心とする奉仕のしくみ)の遺風を残し、祭りの規模が大きいことでも知られている。祭神は伊弉那岐命、大国主命、奴奈川姫の三神であり、能生郷の産土の神としてあがめられている。また漁師たちの船の守り神としての信仰が厚いことから、その気の入れ方は大きく、祭りの準備に数か月をかける。
祭りには能生、小泊、能生谷の三部落が参加する。小泊は祭りの主導権をもち、社人(神主)六人が祭りをつかさどり、そのおのおのに御輿をかつぐわくごし六人、供一人がつく。能生は一二の舞楽を奉納し、能生谷の三部落は神饌の奉納や奉仕が役割である。神饌ではところを必ず献ずるしきたりがある。ところはやまのいもに似ており、救荒食品として食べたもので、古老は「神さまは決して人間を殺さないように恵みを与えて下さる」といっている。
社人宅では、本祭りの朝、午前零時の一番貝(法螺貝)が祭りの幕開けを告げると、女衆は朝食のしたくにとりかかる。献立はあんの入ったふくでもちとおぼろ汁がおもなもので、そのほかにぜんまいの煮つけ、えごの酢味噌かけ、漬物がつくのがふつうである。
次に、祭りをつかさどる人たちのための弁当も、前日から仕込んである材料で、手ぎわよく仕あげていく。この弁当をとくにわりご(割烹)という。また、祭り見物には重箱も用意される。
本来、わりごは美しい赤漆塗りの容器をいうが、料理を含めて呼んでいる場合が多く、一〇人分を収納箱に収めて持ち運ぶ。一人前は三段になっており、最下段にごはんを詰める。白いごはんを腹いっぱい食べられるのがなによりのごちそうというので、すみからすみまではしでならし、きっちりと詰める。中段は野菜の煮つけで、山菜を用いることが多い。太く青々としたやまうどのふくめ煮や、ぜんまいの一本煮は、長い年月をかけてつくりあげた自慢の味である。
また、何種類か炊き合わせる場合の材料もたいてい決まっており、炉端で串焼きした豆腐をはじめ、たけのこ、里芋、ごぼう、麩、こんぶを一品ずつ念入りに味をふくませて盛り合わせる。味のよしあしはその煮方によってきまるので、とくに吟味してつくる料理である。上段にはえごねりや焼き魚を詰める。刺身のときもあるが、赤身の魚は色が変わるというので、あらのような白身の魚が多い。これとは別に、大盛用のわりごには、巻きずし、笹ずし(わらじずしともいう)、ふくでもちを詰める。
祭りの朝、わくごしが社人宅に寄り、このわりごを神社へ持っていく。黒紋付、黒足袋はだしのいでたちで、わりごを紺の無地の風呂敷に包み、木綿の白、紺の斜め縞の太ひもで背負い、お宮へ三々五々歩いていく様子は、祭りならではの風情がある。
写真:白山祭りの日のわりご
〔左から〕煮しめ(こんにゃく、たけのこ、しいたけ、こんぶ、里芋)、焼き魚(たい)と奈良漬、白飯、えごねり、ぜんまいの煮つけ、うどとふきの煮もの、ひらめとたこの刺身
出典:本間伸夫 他編. 日本の食生活全集 15巻『聞き書 新潟の食事』. 農山漁村文化協会, 1985, p.238-242