第9回 ヒマラヤの多様な納豆利用

連載アジア・ニッポン納豆の旅

2020年11月24日

ヒマラヤ地域のネパール、インド北東部、ブータンなどでも納豆がつくられていることは古くから知られている。ブータン西部からネパール東部にかけてつくられている納豆「キネマ」は、カレーに入れる具材となる。そして、インド・アルナーチャル・プラデーシュ州でモンパ民族がつくる熟成させた納豆「リビ・ジッペン」と「グレップ・チュール」は、塩、トウガラシと混ぜ合わせてチャメンと呼ばれる調味料にかならず使われる。ブータン東部には、リビ・イッパと呼ばれる熟成させた納豆があり、調味料として使われるが、主にチーズを用いた料理に使われることが多い。この地域の主たる調味料はチーズであり、チーズがあればリビ・イッパは使わないという人もいれば、リビ・イッパも調味料として必要だと考えている人もいる。そして、リビ・イッパにチーズを混ぜるという生産者も存在し、両者は競合しているのか、それとも共存しているのか、複雑な様相を呈している。

 

ヒマラヤの納豆

 

ヒマラヤ地域には、ネパール系とチベット系の2系統の納豆が分布し、それぞれ独立起源の可能性が高い(図1)(横山 2014, pp. 291-298)。ネパール系の納豆は「キネマ」と呼ばれる。キネマという語はリンブーの方言の「キナムバァ」が語源で、発酵を意味する「キ」と風味を意味する「ナムバァ」が変化したものである(タマン 2001)。納豆をキネマと呼ぶ人々は、ネパール系民族のリンブー、ライ、タマン、グルン、マンガルで、その範囲は、ブータン西部からインドのシッキム州と西ベンガル州ダージリン地区、そしてネパール東部にかけて広がっている。

図1 ヒマラヤ・ネパール系とヒマラヤ・チベット系の納豆の分布(横山 2014, p. 230を改変)

 

一方、チベット系の納豆は、ブータン東部からインドのアルナーチャル・プラデーシュ州(以下、アルナーチャルと記す)にかけてつくられている。複数のチベット系民族が納豆をつくり、その呼称は民族によって様々である。ブータンでは、西部はキネマだが、東部のシャショッパ(ツァンラ)の人たちがつくる納豆は「リビ・イッパ」と称される。アルナーチャルでは、モンパと呼ばれるチベット系民族が住んでいるが、ディラン地方のモンパ(ディランモンパ)の言葉では、納豆を「リビ・ジッペン」、タワン地方のモンパ(タワンモンパ)の言葉では「グレップ・チュール」と呼ぶ。ブータン東部とアルナーチャルのディランモンパは言葉が似ており(水野 2012, p. 8)、納豆を意味する「リビ・イッパ」と「リビ・ジッペン」の「リビ」とは大豆のことを意味し、発酵を意味する言葉がブータン東部では「イッパ」、ディランモンパは「ジッペン」となる。タワンモンパの「グレップ・チュール」は「グレップ」が大豆、「チュール」が発酵という意味で、モンパ民族でもディランモンパとタワンモンパは、言葉が全く異なる。

東南アジアでは、民族や地域ごとにバラエティに富んだ納豆の形状や利用が見られたが、ヒマラヤでも民族や地域ごとに納豆の多様性が見られる。納豆の形状に関しては、粒状の納豆を干し納豆に加工するヒマラヤ・ネパール系のキネマと、熟成して味噌のように加工するヒマラヤ・チベット系の納豆に大別することができる。ヒマラヤの納豆は、どのように使われているのかを紹介していこう。

 

カレーの具材として使われるキネマ

 

2012年9月にインド・シッキム州を訪れて納豆の調査を行った。現地では、シッキム大学のタマン教授にお世話になった。最初の調査地は、州都ガントックから約20km南に位置するリンブー族の東シッキム県パクヨン郡アホ村である。ガントック周辺は、ほとんど平地が無いため、山腹の斜面上に集落を構える。アホ村も例に漏れず、斜面に棚田をつくり、等高線上に家屋が並ぶ典型的な山岳集落の形態を呈していた(図2)。アホ村では、オジュマリさん(30歳)の家で納豆の生産を見せてもらった。

図2 東シッキム県パクヨン郡アホ村の景観(2012年9月)

 

大豆の発酵に使う枯草菌の供給源はシダ植物である。茹であがった大豆を臼で軽く叩いてから、シダ植物を敷いた竹カゴに入れる(図3)。

図3 シダ植物を敷いた竹カゴに煮豆を入れるオジュマリさん(2012年9月、東シッキム県パクヨン郡アホ村)

 

臼で大豆を割る作業は、東南アジアとは違って、完全に潰さずに軽く搗いて割るだけである。発酵が早く進むから発酵前に叩くのだと言う。竹カゴにシダ植物を敷くつくり方は、ミャンマーのタウンジー周辺のパオ族やシャン族と全く同じだ。納豆をつくっていた現場には、オジュマリさんの母親もいて、「昔はシダ植物ではなく、違う葉を竹カゴに敷いていた」と言い、その葉を見せてくれた(図4)。それは、クワ科イチジク属(Ficus spp.)の葉であった。

図4 かつてキネマの生産に使用していたイチジクの葉(2012年9月、東シッキム県パクヨン郡アホ村)

 

インドのシッキムでも、ミャンマーのカチン州や中国の徳宏で菌の供給源となっているイチジクの葉が使われていたが、現在はイチジクの葉からシダへと変わった。その理由は、シダのほうが納豆の味が良いからだという。イチジクとシダのどちらが美味しいかといった味の基準は、民族や地域によって異なるが、この地域のリンブーはシダを選んだということである。ヒマラヤの生産者も東南アジアの生産者と同じく、出来上がりの納豆の味を基準に、発酵させる菌の供給源となる植物を選択している。

シダが敷かれた竹カゴに入れられた大豆は、その後に毛布を巻いて暖かい調理場で3晩寝かせ、キネマとなる。オジュマリさんの家でつくるキネマは、自ら食べる時は粒状のまま利用することもあるが、ほとんどは干し納豆に加工する(図5)。

図5 天日乾燥させて干し納豆として加工されるキネマ(2012年9月、東シッキム県パクヨン郡アホ村)

 

オジュマリさんに、キネマを使った料理を頼むと、ターメリック、シナモン、クミン、カルダモン、クローブなどの香辛料を使ったカレーにお湯で戻したキネマを入れた「キネマカレー」をつくってくれた(図6)。見ただけで美味しそうである。干し納豆をお湯で戻すと、発酵時の粘りも戻る。キネマカレーとヒマラヤで食べられているインディカ米との相性は絶妙である。

図6 干し納豆を入れたキネマカレー(2012年9月、東シッキム県パクヨン郡アホ村)

 

納豆をカレーの具材として利用する範囲は、ヒマラヤ・ネパール系の納豆の範囲と重なるようだ。ユーラシア大陸で納豆がつくられている西端であるネパール東部で2014年8月にキネマの調査を行った。ネパール東部では、コシ県スンサリ郡イタハリという町のライ族のディップさんの家にホームステイさせてもらい、そこを拠点に納豆を探すことにした。ネパールで最初のキネマは、ディップさんの家で出してもらったダルバートであった。ダルバートとは、ネパール語で豆スープ(ダル)と米飯(バート)のことで、通常は野菜などのおかず(タルカリ)と漬物(アツァール)も付く。それは、ネパールの国民食である。そのカレー味のダルにキネマが入っていた(図7)。

図7 キネマが入ったネパールのダル(2014年8月、コシ県スンサリ郡イタハリ)

 

 

段ボール納豆

 

この納豆はどこで入手したのかを尋ねると、妻のラッサミーさんと家事手伝いのビムラーさんが、自宅で納豆をつくって、干し納豆にして常備しているものだという。そこで、キネマをつくる実演をお願いした。

彼女らのキネマは、これまで一度も見たことがない魔法のような製法でつくられていた。3時間ほど茹でた大豆を鉄製のすり鉢とすりこぎを使って軽く叩き割り、新聞紙で包み込み、段ボールの蓋を閉めて、布を巻いて暖かい場所に置くだけである(図8)。新聞紙を敷いた段ボールに茹でた大豆を入れるだけで、発酵後には糸を引くという。究極の簡易的納豆製法である。

図8 段ボールに新聞紙を敷いて発酵させるキネマ(2014年8月、コシ県スンサリ郡イタハリ)

 

ネパール東部のキネマの多くは、バナナやチークなどの植物の葉を枯草菌の供給源として大豆を発酵させる。段ボールと新聞紙などを使った簡易的な方法でキネマをつくっていたのは、コシ県内8村11軒の生産者を訪ねたうち、ディップさんの家を含めて4軒であった。ディップさんはライ族、他の3軒は、ダラン近郊のリンブー族の女性(氏名不明)、そしてネパール語を母語とする国の最大民族であるパルバテ・ヒンドゥーのコピラビストさんとティラクマヤさんである。コピラビストさんは、段ボールと新聞紙を使うが、リンブーの女性とティラクマヤさんは新聞紙を使わず、植物を段ボールに敷き詰める方法を採用していた(図9)。

図9 段ボールにムラサキ科チシャノキ属の葉を敷いて発酵させる(2014年8月、コシ県ダンクタ郡シムシュワ村)

 

発酵に使う植物は、リンブーの女性の場合は、ボガテ(ムラサキ科チシャノキ属 Ehretia spp.)、そしてパルバテ・ヒンドゥーのティラクマヤさんは、バルラ(マメ科ハカマカズラ属 Bauhinia vahlii Wight & Arn.)もしくはサル(フタバガキ科ショレア属 Shorea robusta)であった。

パルバテ・ヒンドゥーの2軒の生産者は、共にライ族からキネマのつくり方を習ったという。段ボールと新聞紙でキネマを商業生産するコピラビストさんは、チェトリという上位カーストのパルバテ・ヒンドゥーである(図10)。

図10 パルバテ・ヒンドゥーのキネマ生産者コピラビストさん(2014年8月、コシ県ダンクタ郡ショルジャナチョック村)

 

最初は彼女の姉がライ族の知り合いからキネマのつくり方を教わり、その後、姉からつくり方を教えてもらった。それまで、キネマを食べたことがなく、現在でも彼女と姉はキネマを食べるが、両親は食べないらしい。リンブーやライなど、自ら食べるためにキネマをつくる民族は、大豆を収穫した後の11〜3月の冬季にだけキネマをつくる。しかし、一年中利用するので、干し納豆に加工して保存性を高めている。一方、パルバテ・ヒンドゥーの商業的生産者は、大豆を購入して年中キネマを生産する。コピラビストさんは、5kgの大豆を500ルピーで購入し、キネマをつくると900ルピーになるという。地元の市場や雑貨店でキネマを25gの小袋に分けて8ルピー(約8.4円)で販売している(図11)。

図11 雑貨店で小袋に分けて売られるキネマ(2014年8月、コシ県ダンクタ郡ショルジャナチョック村)

 

おそらく、植物の葉を使う伝統的なキネマ生産であれば、民族を超えてキネマの生産が伝播するようなことは起こらなかった。キネマの生産は、誰でも入手可能な段ボールや新聞紙でつくることができる生産方法にしたことで、様々な民族に伝播した。そして、冬だけの食べ物から、年中、市場や雑貨店で購入可能な食べ物へと変化したのである。

 

キネマづくりと在来知

 

しかし、ネパールで段ボールと新聞紙でキネマをつくる生産者の実践を、単に簡易的で非伝統的な生産方法と位置づけることはできない。キネマが入ったカレーをつくってくれたラッサミーさんは、キネマは、必ず同じ場所でつくるという。煮豆を放置すれば納豆になる可能性は高いので(石塚・木村・横山 2019)、適した枯草菌が納豆をつくる場所に棲みついているかどうかが重要なのである。おそらく、納豆をつくる場所には、うまくキネマをつくることができる種類の枯草菌が棲みついていると思われる。新聞紙と段ボールといった納豆をつくるために使うマテリアルは、それほど重要ではない。

問題は、どうやって発酵を担う菌を棲みつかせ、維持してきたのかという点である。その実践が「在来知」であるが、生産者が菌の存在を理解しているのか、また目に見えない菌をいかにしてコントロールしているのかといった生産者の実践については、よく分からない。

もう一つ、ヒマラヤ地域のキネマ生産者にだけ見られた実践がある。それは、納豆を発酵させる時に灰を入れることである。灰を入れていたのは11軒の生産者のうち3軒であった。先述のパルバテ・ヒンドゥーの商業的生産者のコピラビストさんも大豆を茹でた後に灰を混ぜると言っていた。実際に灰を混ぜるのを見たのは、コシ県スンサリ郡イタハリのリンブーの人に納豆のつくり方を実演してもらった時であった。左手に木灰を持ち、それを茹でた大豆に入れて混ぜた後に、チークに包んで発酵させるのである(図12)。灰を加える事例は、インドのシッキム州や西ベンガル州ダージリンでも報告されており(吉田・小崎 1999; Tamang 2010, pp. 66-67)、ヒマラヤのキネマ生産では珍しくないが、東南アジアでは全く見られない。

図12 煮豆を発酵させる時に灰を入れるキネマ生産者(2014年8月、コシ県スンサリ郡イタハリ)

 

枯草菌は芽胞を形成し、様々な環境に対して耐久性を有するので、煮豆に灰を振りかけてアルカリ性にしても、枯草菌は耐えられる。しかし、アルカリに弱い枯草菌以外の菌は生育できないので、結果的に枯草菌だけが生き残る。当然、ヒマラヤ地域の住民は、そのような枯草菌の特徴は知らないと思うが、長い納豆生産の経験から灰を入れると失敗せずに美味しいキネマがつくることができるのを知ったものと思われる。

 

アルナーチャルのトウガラシと納豆の混合調味料チャメン

 

チベット系の納豆は、ネパール系のキネマと全く形が違う。2013年5月にブータンの西に位置するアルナーチャルで京都大学の水野一晴さんと一緒に調査を行う機会が得られた。最初に現地の納豆「リビ・ジッペン」を見たのは、水野一晴さんの知り合いであるモンパ民族(ディランモンパ)の西カメン県ディランのリンチンさんの家であった。それは、これまで見たこともない納豆で、土の塊のような形状であった(図13)。

図13 ディランモンパの味噌状の納豆リビ・ジッペン(2013年4月、アルナーチャル・プラデーシュ州西カメン県ディラン)

 

発酵後は、木臼で完全にすりつぶして、ジェーと呼ばれる容器に入れて保管するが、1ヶ月すると写真のように粉が出てくるという。伝統的なつくり方は、竹のバスケットにラシンと呼ぶツツジ科ツツジ属のシャクナゲ(Rhododendron hodgsonii)の葉を敷き詰めて2日間、囲炉裏の側に置いて発酵させると言う。しかし、リンチンさんは、2000年代後半から、肥料袋のようなプラスチックバックを使って発酵させている。シャクナゲというと、日本では亜高山帯の植物なので山に登らなければ見ることができないが、標高の高いアルナーチャルでは普通に見かける[1]図14)。しかも、葉が大きく丈夫なので、現地ではバターやチーズを包むために使われている(水野 2012, p. 156)。東南アジアで例えると、バナナの葉で食料を包むのと同じような利用がなされている。だとすれば、現地で煮豆を包む身近な葉としてシャクナゲが使われていたとしても不思議ではない。

図14 かつて納豆の発酵に使われていたツツジ科ツツジ属のシャクナゲ(2013年4月、アルナーチャル・プラデーシュ州西カメン県ディラン)

 

ブータンの国境近く、ディラン周辺で調査を行った後、タワン県タワンに移動した。ここに住むタワンモンパの人たちは「グレップ・チュール」と呼ぶ納豆をつくる。タワン近郊ジャン郡シンソール・アニ・ゴンパ村の尼寺でグレップ・チュールのつくり方を聞くと、2011年以降になって、煮豆を発酵させる時にプラスチックバックを使い始めたらしい。その前は、竹カゴを使っており、さらに母親の時代には、タワンモンパ語でマルラと呼ぶシャクナゲの葉を竹カゴに敷いて発酵させていたという。約1ヶ月熟成させているグレップ・チュールを見せてもらうと、すりつぶした味噌のような形状になっていた(図15)。

図15 タワンモンパの味噌状の納豆グレップ・チュール(2013年4月、アルナーチャル・プラデーシュ州タワン県ジャン郡シンソール・アニ・ゴンパ村)

 

アルナーチャルの味噌のような形状の納豆「リビ・ジッペン」と「グレップ・チュール」は、現地では「チャメン」と呼ばれる調味料をつくるのに使われる。ディランモンパもタワンモンパも同じく「チャメン」と呼び、基本の材料は、塩、トウガラシと納豆の3種類で、それらに水(湯)を加えて、すりつぶした調味料である。タワンモンパの尼寺でつくってもらったチャメンは、基本の3種類に加えて、山椒を入れて木製の手臼と石のすりこぎで潰したものであった(図16)。調査の時は、昼食で出して頂いた赤米と漬け物にチャメンをかけて食べた。

図16 調味料チャメンをつくるタワンモンパのグレップチュール生産者(2013年4月、アルナーチャル・プラデーシュ州タワン県ジャン郡シンソール・アニ・ゴンパ村)

 

ディランモンパのリンチンさんがつくったチャメンは、基本材料の3種類に加えて、ショウガを入れて石製のすりこぎで叩き潰したものであった。これを、タワンモンパ語でグルツン・プタンと称するソバ[2]にかけて食べる(図17)。納豆入りのチリソースをソバにかけるという食べ方は、意外に美味しかった。

図17 ソバ(右)のソースとして利用されるチャメン(左下)(2013年5月、アルナーチャル・プラデーシュ州西カメン県ディラン)

 

アルナーチャルの納豆生産者に、納豆の利用方法を尋ねると、全員が「チャメン」と答える。東南アジアでもチャメンと似た用途で使われるソースとして、ジェオ(ラオス)とナムプリック(タイ)がある[3]。アルナーチャルのような高地では、魚醬や穀醤を使わないので、トウガラシのソースを使う時にうま味成分を加えるために納豆が重要な役割を果たしている。発酵大豆のうま味とトウガラシの辛みが、ご飯やソバのような主食だけでなく、様々な野菜にも合う。チャメンは、モンパ民族の伝統的な調味料と言って間違いない。

 

ブータン東部の謎の納豆リビ・イッパ

 

チベット系の納豆は謎に満ちている。アルナーチャルの納豆「リビ・ジッペン」と「グレップ・チュール」の他に、ブータン東部にも「リビ・イッパ」と呼ばれる熟成させた納豆がつくられている。しかし、前著『納豆の起源』を記した2014年の時点ではブータンの調査ができず、リビ・イッパに関する情報は、文献に頼らざるを得なかった。佐々木高明は、ブータン東部のリビ・イッパを次のように記している。

まず大豆をよくゆでて竹籠に入れ、布でぴったり封をして約一週間置く。臭いがしてきたら開けて、臼でついてよくつぶし、竹の容器(シッパ)に入れてかまどの上などに置いておく。(佐々木 1982, p. 129)

しかし、この記述は佐々木が実際に見たものではなく、ブータンで長く生活した方からの情報をもとに書いている。これまでの文献でもっとも信憑性が高いのは、ブータン東部のモンガルでリビ・イッパを実際に調査した吉田よし子による下の情報である。

ブータンの納豆センターといわれている東ブータンのモンガルへ行った。しかしここで見た納豆は、今まで見てきた納豆とはまったく違うものだった。ダイズを塩なしで発酵させて作るところはたしかに納豆なのだが、短いものでも数ヶ月、長いものでは一年以上保存するため、でき上がった納豆は半流動体で、猛烈な臭気を放つ。

作り方を聞くと、一軒では、酒作り用に自宅で作っている草麹を混ぜ、もう一軒では白チーズを混ぜて作っていた。こういったものを混ぜたほうが熟成が早く、味もよくなるからだという。なおダイズ以外何も混ぜない納豆もあり、いずれもリビ・イッパと呼んでいた。

この納豆の用途はスープの味出しで、普通味出しに使う発酵させたチーズといっしょ、あるいはその代わりに用いる。さらにこの納豆は家畜のための常備薬でもあった。(吉田 2000, p. 76)

何ヶ月間も発酵させ続けている点は、アルナーチャルの納豆と同じであるが、発酵後に草麹を混ぜたり、白チーズを混ぜたりして熟成しているというのは、にわかには信じられないつくり方である。これが一般的なブータン東部のリビ・イッパなのだろうか? ブータンでは、トウガラシや各種の野菜とチーズを混ぜるエマ・ダツィと呼ばれる料理が国民食として食べられているが(松島 2020, pp.145-147)、納豆にチーズを混ぜるとか、チーズの代わりに納豆を使うという利用は、日本人には想像できない。東南アジアとヒマラヤで納豆をつくっている他の地域と比べると、食の文化的背景がかなり違うような気がする。

 

ブータン東部での納豆調査

 

ブータンのリビ・イッパを調査するに先立ち、とりあえず事前に集められる情報をできる限りたくさん集めることにした。そこで、ブータンの魅力を伝える旅行をコーディネートする「ヤクランド」[4]の久保淳子さんと、何度もメールをやりとりした。久保さんがブータン東部で納豆をつくっている人に聞いたところ、「小さい頃には牛を飼っている人はお金もちだけで、チーズのかわりに納豆を食べていた。つまり、トウガラシのチーズ煮のチーズが納豆というわけです」という[5]。やはり、ブータン東部では、納豆はチーズの代用品となっているのか? また、ブータン東部のタシガン付近には、アルナーチャルと同じような熟成させたリビ・イッパをハンバーグのような形状にして、そのハンバーグのような固まりの納豆をそのまま食べることもあるらしい。旅行会社に車とガイドを手配してもらい、2016年10月にブータン東部での納豆調査を決行することにした。

これまでの納豆調査は、まず市場に行き、納豆を売っている店を見つけて、その納豆がどこでつくられているのかを聞いて、生産者を訪ねるという方法で実施してきた。調査初日、インド・アッサム州のグワハティに到着後、手配した車でブータンに入り、ペマガツェルという町で宿泊したのだが、町に市場がない。調査の初日から、これまでの調査手法では納豆を探すことができないという事態に直面した。ブータン西部から来た通訳と運転手は、西部の町には市場はあるが、東部の人たちは、ほとんど自給自足の生活を送っているので食材を買う必要がなく、市場のような場所は東部には存在しないというのである。野菜やチーズなどを売っている商店が一軒だけ見つかったが、農業を営んでいない公務員が利用する店だという(図18)。当然、そこに納豆など売っていない。

図18 野菜を売るペマガツェルの町の雑貨店(2016年10月)

 

どうやって、納豆生産者を探せばよいのか途方に暮れていたところ、運転手の母がブータン東部の出身で、母の妹がペマガツェルに住んでいるというのだ。しかも、そのドライバーは、ブータン東部で話されているシャショップ語を話せるという頼もしさで、ガイドよりも色々なことを知っていそうだ。翌日、その叔母の家にアポなしで行くことになった。こうして、5日間のブータン調査の期間中は、すべて人づてに納豆を探すという、これまでとは全く違う方法で調査を実施することになった。

 

リビ・イッパは乳酸発酵?

 

運転手の叔母が住む、ペマガツェル県シュマル郡バールツィリ村のドウンチュワンモアさん(51歳)の家を訪れた。村のほとんどの世帯では、自家製のリビ・イッパをつくっているらしい。つくり方を尋ねると、大豆を茹でた後、よく水を切ってから熱い状態で、ビニール袋に入れて口を縛るという。そのビニール袋とは、東南アジアなどで使われている通気性のある肥料袋のようなプラスチックバックではなく、透明の全く空気を通さないビニール袋である。そして、外側を布に包んで、夏は2週間、冬は2ヶ月放置する。その後は、プラスチックのケースに入れて保管する。

しかし、このつくり方で大豆を発酵させられるのだろうかと疑問に思った。枯草菌は、酸素呼吸しながら有機物を分解する好気性菌なので、酸素がないと生育できない。ビニール袋に入れて口を縛ったら枯草菌による発酵は期待できない。とすれば、初期段階の発酵は嫌気性菌の乳酸菌だろうか? そして、袋から取り出して、保管している間に枯草菌がつくのだろうか? ビニール袋を使い始めたのは、2000年ぐらいからだという。かつてはナベにバナナなどの植物の葉を敷いて、煮豆を包み、布をかぶせて寝かせていたという。ビニール袋を使うようになってから失敗が減ったという。

2ヶ月前につくったという納豆を見せてもらうと、見た目は納豆っぽく見える(図19)。

図19 ドウンチュワンモアさんの2ヶ月熟成させたリビ・イッパ(2016年10月, ペマガツェル県シュマル郡バールツィリ村

 

味見すると、発酵していることは間違いないが、臭いがきつくて、口に入れるのをためらってしまう。これまで見てきた納豆の中で、おそらく一番臭いが強い。食べてみると、大豆の味がするが、少し酸味があり、やはり乳酸発酵なのではないかと感じた。粒状のまま熟成させるが、食べるときは木製の手臼で潰して調味料として使う。

ドウンチュワンモアさんが食事を用意してくれた(図20)。

図20 ドウンチュワンモアさんの家での食事。バンチャン(左)、ジャジュ(右上)、エゼ(右下)(2016年10月, ペマガツェル県シュマル郡バールツィリ村)

 

大盛りのご飯に干し肉と野菜が乗っている。ご飯はトウモロコシを混ぜて炊いている。左下のカップは、発酵させたトウモロコシにお湯を注いで濾して飲むバンチャンという蒸留酒である。写真右上の「ジャジュ」と呼ばれるスープはチーズが出汁である。そして右下が、いろいろな料理にかけるペーストの「エゼ」である(図21)。

図21 リビ・イッパ、トウガラシ、山椒、塩、トマトが混ぜられたエゼ(2016年10月, ペマガツェル県シュマル郡バールツィリ村)

 

この時に出されたエゼは、リビ・イッパ、トウガラシ(ダツィ)、山椒(ティンゲイ)、塩、トマトが混ぜられていた。ガイドによると、エゼには様々な種類があり、トウガラシと山椒にトマトを入れ、油で煮たラー油のようなもの、またチーズを入れたものがあるという。ドウンチュワンモアさんに聞くと、エゼにチーズを入れるのは普通だというが、チーズの代わりにリビ・イッパを入れているわけではなく、チーズを入れても、リビ・イッパは必ず入れるという。このエゼは、ご飯との相性が抜群である。普段、調味料として何を使うのかと尋ねたら、チーズ、リビ・イッパ、塩、油の4種類だと教えてくれた。ブータン東部でも、納豆は調味料として使われていた。

ペマガツェルを後にした私たちは、夕方に東部の中心地タシガンに到着した。ホテルの支配人に市場はあるかと尋ねると、タシガンでは野菜を売っている店が数軒あるだけで、市場は開かれていないという。地元出身ではない支配人は、リビ・イッパについてはよく知らないので、タシガン県内出身のホテル従業員にリビ・イッパのことを聞いてくれるという。翌朝、ホテルのフロントに行くと、支配人が一人の若い女性を連れてきた。彼女の名前はリッキーさん。彼女の実家と叔母の家でリビ・イッパをつくっているらしい。我々の調査にリッキーさんが一日同行してくれることになった。さっそく、リッキーさんの叔母に電話をして調査の許可をもらい、リビ・イッパのつくり方を実演してもらうことになった。

タシガン中心部から、山道を登り、棚田に稲が実る景観を見ながら、約15km西に位置するバラゴンパ村に住むリッキーさんの叔母のチェザンさん(42歳)の家に向かった(図22)。

図22 ブータン東部の農村景観(2016年10月, タシガン県サムカール郡)

 

ブータン東部の農村景観は美しく、心が癒やされる。到着すると、まず夫のテンジンさん(44歳)が家の中の仏間を案内してくれた。家の中で一番広い部屋が豪華な仏間であり、3体もの仏像が置いてあった(図23)。そしてチェザンさんは、リビ・イッパをつくるため、屋外の調理場のかまどの火の準備を始めている。

図23 テンジンさんの家の仏間(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

リビ・イッパのつくり方は、まず大豆を1時間ほど浸水させた後、水が足りなくならないように、しゃもじで水を加えながら茹でる。実際の茹で時間は、1時間15分であった。茹で終わりの際には、大豆を手に取って潰してみて、十分に柔らかくなっていることを確認していた。ザルで水を切り、暖かいうちにビニール袋に入れて、しっかりと袋の口を閉める(図24)。

図24 煮豆をビニール袋で発酵させるリビ・イッパ(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

ここまでのつくり方は、前日に聞き取りをしたペマガツェルのドウンチュワンモアさんを真似したのではないかと思えるほど同じである。ビニール袋に入れた後は、暖かい場所で10日間ほど寝かせる。その後、袋から出して、潰してから瓶やプラスチックのケースなどに入れて、さらに1〜2ヶ月熟成させてから利用する。図24を見ても分かるように、ビニール袋の中で好気性の枯草菌が生きられるとは思えないので、ビニール袋に入れている最初の10日間は枯草菌による発酵ではないと考えられる。

 

超熟成のリビ・イッパとチーズを混ぜたリビ・イッパ

 

チェザンさんの家で実際に使っている2種類のリビ・イッパを見せていただいた。1つめは、焦げ茶のペースト状のリビ・イッパである(図25)。

図25 14年間熟成させたリビ・イッパ(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

これほどドロドロになった納豆は見たことがない。どうやって、このようなリビ・イッパをつくったのか尋ねると、「結婚した年につくったリビ・イッパを熟成し続けている」という、驚くべき答えが返ってきた。チェザンさんとテンジンさんが結婚したのが2002年ということなので、14年間も熟成させていることになる。それほど長く発酵させ続けていたら、豆の形が無くなるのも当然だろう。祖母から長く熟成させた納豆は「薬」になると教えられたので、長期熟成させているのだという。この超熟成リビ・イッパは、ほんの味付け程度に少しずつ料理に入れて使っている。少しだけ味見をさせてもらったが、とにかく苦い。納豆の味もうま味も感じられない。「良薬は口に苦し」である。

2つ目のリビ・イッパも1つ目の超熟成に負けず劣らないインパクトがあった。それは、チーズを混ぜたリビ・イッパである(図26)。

図26 チーズを混ぜたリビ・イッパ(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

現地の言葉で「チュル」と称される牛の乳でつくる柔らかいチーズを1年間ぐらい寝かせておくと液状の「チュルパ」になる(図27)。

図27 牛乳でつくる柔らかいチーズ「チュル」(左)と1年間寝かせて液状になったチーズ「チュルパ」(右)(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

そのチュルパを混ぜたものが図26のリビ・イッパである。チーズを混ぜたリビ・イッパは、強烈な臭いを放ち、味見をしても、この原材料が大豆なのかチーズなのか、見当が付かない味であった。チーズを混ぜたリビ・イッパも料理に混ぜて調味料的に使う。チーズを混ぜる理由を聞いたところ、「チーズもリビ・イッパも調味料で、同じような料理に使うし、良いリビ・イッパは、チーズのような良い香りがする。だからリビ・イッパに、チーズを混ぜて使うことは普通だ」と述べる。吉田(2000, p. 76)は、熟成を早めるためにチーズを混ぜると記していたが、そのような理由は聞かれなかった。リッキーさんの叔母のチェザンさんとその夫のテンジンさんには、突然の訪問にも関わらず、リビ・イッパのつくり方の実演、そして食事まで提供してもらって、大変親切にしていただいた(図28)。

図28 テンジンさん一家。左から、娘、リッキーさん、筆者、叔母のチェザンさん、夫のテンジンさんと息子(2016年10月, タシガン県サムカール郡バラゴンパ村)

 

 

家畜の薬としてのリビ・イッパ

 

次に訪れたのは、リッキーさんの実家である。当日は、リッキーさんの母チェガンさん(49歳)、祖父、そして祖母が自宅に居た(図29)。

図29 リッキーさん一家。左から、母のチェガンさん、祖母、リッキーさん、祖父(2016年10月, タシガン県サムカール郡カプティ村)

 

現在は、リビ・イッパをつくっていないが、3年ほど前にダイズを植えた時につくったものが残っているというので見せてもらった。そのリビ・イッパは、ビニール袋ではなく、壺に入れて発酵させたという。発酵後は、バムズィーと呼ぶ竹で編んだカゴで熟成させるというが、見せてもらったリビ・イッパはプラスチックの瓶に入っていた(図30)。すでに3年熟成させているので、粒の形はほとんど残っていない。

図30 リッキーさんの実家でつくった3年熟成させたリビ・イッパ(2016年10月, タシガン県サムカール郡カプティ村)

 

リビ・イッパの利用に関して、祖母イシ・ジェモさん(自称86歳)から非常に興味深い話を伺うことができた。牛を飼っている家ではチーズがつくれるが、飼っていない家ではチーズがつくれないので、その代わりにリビ・イッパを調味料として使っていたのだという。ただし、リッキーさんの家では、たとえチーズがあっても、昔からリビ・イッパを使っていたという。また、若い世代は、リビ・イッパの臭いが嫌いなので、徐々に使われなくなっていると語る。リッキーさんにリビ・イッパが好きかと尋ねると、「臭いから嫌いだ」と答えた。

そして、イシ・ジュモさんは、牛が病気で痩せてしまった時には、リビ・イッパに水を混ぜて飲ませると元気になると言う。これは、吉田(2000, p. 76)が述べる「家畜の常備薬」として使われていたことを裏付ける語りである。

 

子供に嫌われるリビ・イッパとチーズとの競合

 

タシガンでの調査2日目は、リッキーさんに代わって、同じホテル従業員のチョニーさんが調査に同行してくれた。しかし、彼女はリビ・イッパの生産現場を知っているわけではなかったので、彼女の友人や親戚の伝手をたどって、村を巡ることになった。

幾つかの村を訪問して、ようやく辿り着いたのが、タシガンから約15km北に位置するラムジェー郡タゾン村であった。リビ・イッパをつくっていたのは、大豆を自給しているディジェンさん(67歳)とその娘のナムジェさん(40歳)である(図31)。

図31 ディジェンさん(左)とナムジェさん(右)(2016年10月, 2016年10月, タシガン県ラムジェー郡タゾン村)

 

彼女は、ビニール袋ではなく洗面器のような器にバナナの葉を敷いて煮豆を発酵させていた。3〜4日間ほど暖かい場所で寝かせた後に石臼で搗いて、プラスチックの瓶で熟成させる。図32は、2ヶ月前につくったリビ・イッパで、見た目はアルナーチャルの納豆とほとんど同じで、その味もビニール袋でつくったリビ・イッパと明らかに違い、枯草菌で発酵させた納豆の味がした。しかし、アンモニア臭が強い。リビ・イッパは、ショウガ、ネギ、塩、山椒、トウガラシと一緒に混ぜたエゼをつくる時に欠かせないと言う。

図32 ディジェンさんの2ヶ月間熟成させたリビ・イッパ(2016年10月, タシガン県ラムジェー郡タゾン村)

 

この村は、ほとんどの世帯でダイズを栽培しているにも関わらず、リビ・イッパをつくっているのは、ディジェンさんの世帯だけだという。その理由を尋ねると、臭いので身体に悪いとか、リビ・イッパを食べた子供が学校で臭いと言われるなど、リビ・イッパが良くない食べ物だと思われているからだと言う。だから、ディジェンさんも子供たちにリビ・イッパを食べさせるべきかどうか迷っている。リビ・イッパを忌避する風潮は、2005年頃から顕著になったらしい。臭いという理由でリビ・イッパの利用が廃れるのは非常に残念なので、リビ・イッパは決して身体に悪い食べ物ではなく、その反対に非常に身体に良い食べ物だと説明しておいた。

ダイズを栽培する世帯は、リビ・イッパをつくるよりは、大豆を売ったお金でアルナーチャルとの国境域のメラックやサクテンの牧畜民が生産するヤクの乳のチーズ「ブロッパ・イッパ」を買い、それを調味料として使う傾向があるらしい。ディジェンさんは、タゾン村にメラックやサクテンの牧畜民がブロッパ・イッパを売りに来るようになったのは、娘のナムジェさんがまだ小さかった1980年ぐらいからだと言う。昔は、年に1回売りに来るかどうかだったが、今では月に1回は売りに来るらしい。そのような中でも、ディジェンさんの家でリビ・イッパをつくり続けているのは、リビ・イッパを調味料として使うのが当たり前になっていて、しかも彼女自身がリビ・イッパを好きだからだという。リビ・イッパは、チーズの代替ではなく、調味料の一種として必要だと考えている世帯は多いと思われる。

 

団子状のリビ・イッパ

 

ブータン東部でのリビ・イッパ調査の最終日は、タシガン県の北に位置するタシヤンツェ県に足を延ばした。ブータン調査前に、ヤクランドの久保さんから、タシヤンツェ県ヤラン郡にリビ・イッパがあることを教えてもらっていたからである。しかし、どこで納豆をつくっているのか分からないため、ヤラン郡に到着してから見かけた人に手当たり次第に聞き取りをして、ようやく納豆をつくっている家を見つけることができた。

リビ・イッパの生産者は、ナクゥさん(63歳)で、ダイズも自ら栽培している。ナクゥさんのリビ・イッパは、中国徳宏の乾豆豉のような団子状である(図33)。

図33 団子状のリビ・イッパ(2016年10月, タシヤンツェ県ヤラン郡ヤラン村)

 

そのつくり方は、これまでのリビ・イッパとは少しだけ異なる。まず、回転式の挽き石臼で大豆を軽く砕いてから茹でる。そして茹でた大豆をビニール袋に入れて口を閉めて、3日間ほど発酵させる。ビニール袋を使う方法はブータン東部の他地域と同じである。その後、石臼と杵で叩き潰し、1日天日乾燥してから、手に付着しないように小麦粉をつけながら形を整え、風通しの良い屋根裏で乾燥させる。叩き潰す時に、トウガラシ、塩、ショウガ、山椒、ニンニクを入れて混ぜ合わせることもあると言うが、図33のリビ・イッパには何も入れていない。図34は、乾燥させている途中のリビ・イッパであるが、同じ場所では餅麹も一緒に置かれている。完全に乾燥するまで2〜3ヶ月かかる。

図34 乾燥中のリビ・イッパ(右)と餅麹(左)(2016年10月, タシヤンツェ県ヤラン郡ヤラン村)

 

この団子状のリビ・イッパは、薄く切って調味料として使う。中国徳宏の乾豆豉と同じような利用方法である。また、労働交換で農作業を手伝ってくれた人へのお礼としてリビ・イッパを渡すなど、贈与物としての役割も担っている。ナクゥさんの家では昔からリビ・イッパを調味料として使っており、料理にリビ・イッパを加えるとチーズだけの味とは違った味になるという。

チーズはどんな料理にも不可欠だが、リビ・イッパが不可欠だという料理は無い。しかし、チーズはチーズで、リビ・イッパはリビ・イッパで、その2つは別物だと言う。ナクゥさんは、子供が高校生ぐらいの年代になると、リビ・イッパは臭いからといって食べなくなると言う。前述のディジェンさんのタゾン村の事例と同じである。しかし、首都ティンプーで働いている子供たちが里帰りすると、リビ・イッパを持って帰るのだと言う。一時期は食べたく無くなるが、結局、懐かしくなって食べたくなるようだと述べる。リビ・イッパは、ブータン東部の人々のソウル・フードなのだ。

 

ヒマラヤ納豆の多様性と変化

 

本章では、最初にネパール系、次いでチベット系のヒマラヤ納豆を紹介したが、隣接する2地域でつくられる納豆は、調味料として利用されている点以外は、ほとんど共通性が見られない。乾燥させた干し納豆に加工し、もっぱらダルに入れられるネパール系のキネマに対して、様々な料理の調味料として利用される熟成させるのがチベット系の納豆である。

今回の記事では、ブータン東部のリビ・イッパの生産と利用を詳細に論じた。しかし、これはまだ予備調査のような段階である。そして2つの課題が残された。1点目は、全く空気を通さないビニール袋で発酵させるというリビ・イッパの発酵メカニズムである。初期の段階では乳酸発酵で、その後の熟成で枯草菌による発酵が起こるのであろうか。それを解明するには、発酵微生物の分析が欠かせない。

2点目は、チーズとリビ・イッパの関係である。この関係性は、生産者によって大きく違っていた。リビ・イッパはチーズの代わりに使うと考える人もいれば、リビ・イッパとチーズは別物で、リビ・イッパが廃れてチーズに置き換わることはないと考える人もいる。ブータン東部の農耕民であるシャショッパの人たちは、余裕がある世帯だけが家畜の牛を飼育することができ、チーズ自体が貴重品だった。それ以外の世帯は、大豆でつくるリビ・イッパが主要な調味料であった。しかし、少しずつ豊かになり、牛を飼育する世帯も多くなり、また、チーズも入手できるようになっていく。したがって、牛の乳でつくったチーズは、リビ・イッパと競合というよりは共存だったのではなかろうか。

しかし、そこにメラックやサクテンなどの牧畜民がつくるヤクの乳のチーズ「ブロッパ・イッパ」が入ってくる。かつては、ブロッパ・イッパは、牧畜民との物々交換でしか入手できない貴重なものであった[6]。現在は、ブータン東部でも自動車が普及し、ブロッパ・イッパが各地で売られるようになり、かつて貴重だったヤクのチーズも手に入るようになった。このメラックやサクテンなどの牧畜民がつくるチーズは非常に濃厚で高級品とされ人気がある。図35は、タシガンの西に位置するラディの店で売られていた牛の皮に包まれたブロッパ・イッパで、書かれている数字は値段である。

図35 メラック地方で生産されたヤクのチーズ「ブロッパ・イッパ」(2016年10月, タシガン県ラディ郡ランジュン)

 

現地通貨の730ヌルタムは、日本円に換算すると約1,000円になり、現地の物価ではかなり高価である。一般家庭では、1年に1個ぐらい消費しているというが、ブロッパ・イッパは高価なので、牛の乳でつくったチーズに混ぜて使ったりしているようだ。ラディで聞き取りを行った際、住民は「かつてはみんなリビ・イッパをつくっていたが、今はメラックのブロッパ・イッパが簡単に入手できるようになったので、ダイズを栽培してリビ・イッパをつくる人がいなくなった」と述べていた。

農耕民が家で数頭飼育する牛からつくるチーズとリビ・イッパは共存できるが、おいしいブロッパ・イッパが普及するとリビ・イッパはどうなってしまうのだろうか。ヒマラヤ地域では、地域の伝統的な食文化を下敷きにして、総合的な視点から調味料としての納豆利用を明らかにする研究が必要となる。
【第9回終わり】

写真提供:著者(横山 智)
Learning from the fields(横山智 個人サイト)
教員詳細:横山智(名古屋大学教員プロフィール)

 


文献
石塚 修・木村啓太郎・横山 智 (2019) 「日本人と納豆:アジアの中で味わいの歴史と多様性を考える」『科学』89(9), 796-806.

稲村哲也・タシ=ドルジ・川本 芳 (2012)「ブータン極東部高地のメラックにおける牧畜の変化とその歴史的社会的背景」『ヒマラヤ学誌』13, 283-301.

佐々木高明(1982)『照葉樹林文化の道―ブータン・雲南から日本へ(NHKブックス422)』日本放送出版会.

タマン=ジョティ・プラカッシュ(2001)「キネマ」『Food Culture(キッコーマン国際食文化研究センター)』3, 11-13.

松島憲一 (2020)『とうがらしの世界(講談社選書メチエ 728)』講談社.

水野一晴 (2012)『神秘の大地、アルナチャル:アッサム・ヒマラヤの自然とチベット人の社会』昭和堂.

横山 智(2014)『納豆の起源(NHKブックス1223)』NHK出版.

吉田集而・小﨑道雄(1999)「シッキムの発酵食品」『季刊民族学』23(4), 34-45.

吉田よし子 (2000)『マメな豆の話―世界の豆食文化をたずねて』平凡社新書.

Tamang, J. P. (2010) “Himalayan Fermented Foods: Microbiology, Nutrition, and Ethnic Values”. CRC Press.

 


脚註
[1]調査を実施したディランは標高約1,500〜1,600m、タワンは2,500〜2,900mに位置している。

[2]日本では 韃靼 (だったん)ソバ、もしくは苦ソバとか呼ばれている種類のもので、手動の押し出し式製麺機を使って製麺する。

[3]のう地「アジア・ニッポン納豆の旅:第5回 おかず納豆
http://knowchi.jp/archives/1116

[4]ヤクランド(https://yakland.jp/)

[5]久保淳子さんからの私信(2015年4月1日のメール)

[6]稲村(2012)によると、メラックの牧畜民は、タシガン県のフォンメ、ラディ、ビドゥンなどの農耕民と物々交換の交易関係を結んでいるとされる。また、本来はヤクとゾム(ヤクとウシの交雑種)の移牧を営んでいたが、現在はミタン牛が導入され、ヤク、ゾム、ミタンの三元交雑が進んでいる。したがって、現在はヤクの乳でつくったチーズとは限らない。

横山 智(よこやま さとし)

1966年、北海道生まれ。名古屋大学大学院環境学研究科 社会環境学専攻 教授。専門分野は、地理学。
オリンパス光学工業入社、退職後、1992~94年まで青年海外協力隊員としてラオスで活動。筑波大学大学院博士課程地球科学研究科地理学・水文学専攻中退。熊本大学文学部助教授(准教授)等を経て、現職。

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