聞き書 山形の食事 庄内平野の食より
三月十五日の田の神おろしのもちを配るころから流しの窓のつららが細くなり、凍みることもなくなるので、かたもち(かきもち)やあらね(あられ)づくりの準備をする。このときのもち切りで手につくったまめが治らないうちに、四月三日の月おくれのひなの節句のしたくをしなければならない。
雪解けを待っていたかのように、最上川のねこやなぎが芽を吹き、土手のばんけ(ふきのとう)も萌黄色の頭をもたげる。この時期になると宮野浦の魚屋が自転車に小さなリヤカーをとりつけ、ぴんぴんはねているこあめを木箱に入れたものを、一〇箱くらい積んで売りにくる。振れ売りの姿に、長い冬ごもりがあけ、春がやっときたことを感じる。
鳥海山の残雪が、じさま(じいさん)が枡を持って種を播いているかっこうに見えるようになると苗代づくりの適期だと語り伝えられ、それを目安に苗代づくりがはじまる。四月上旬の水苗代は冷たく、木綿の紺のもんぺに素足の作業では、手も足もまっ赤になってしびれてくる。しかし、春の農作業は時間と日数を争うもので、植えるもの、播くものとつぎつぎに手ぎわよく、冷えた手足を暖めるひまもないまま、作業を進めなければならない。
写真:春の昼食
朝の残りの二番米飯と汁に、切干しと油揚げの煮もの、こあめのすりみ、漬物を添えて。
出典:木村正太郎 他. 日本の食生活全集 6巻『聞き書 山形の食事』. 農山漁村文化協会, 1988, p.211-212