聞き書 栃木の食事 那須野ヶ原開拓の食より
那須野ヶ原は、栃木県内でもとくに冬の寒風のきびしいところである。朝起きて那須連峰に少しでも雲がかかっていると、必ず午後は強い寒風に見舞われる。気温もぐんと下がり、ひゅうひゅうと鳴る風音を聞く一日となる。
どの家も屋敷まわりには風よけの土塁や家裏(防風林。おもに杉を植える)をつくっているが、冬が近づくと、家裏の根元になすの枯れ木やもや(小枝薪)やらをしばりつけて風の備えをする。また、いろり用の雑薪を家のまわりに積んで、少しでも家の中がぬくもるように工夫をする。それでも寒風、寒気はきびしく、いろいろなものが凍ってしまう。
食事づくりをする母ちゃんにとって、冬場はとくに野菜をはじめとする食糧の確保が大事な仕事になる。
家の北側のひさしの下を囲ってつくった味噌蔵(食糧貯蔵庫)には、かけ菜(大根の干葉)、いもがら、切干し大根を貯蔵し、漬物桶、味噌桶を並べる。さつまいもは、納屋の軒下や床下にいも穴を掘って貯蔵する。大根、ごぼう、にんじんなどは、畑のすみの日当たりのいい場所に一間四方で深さ三、四尺ほどの穴を掘っていけ、上に木の葉やわらをかける。
食事づくりは、いろりが、おもにおつけ(味噌汁)をはじめおかずつくりの場所で、いろりのまわりに焼きこを置いて、魚やゆでまんじゅうを焼いたりもする。いろりはまた、唯一の暖房具でもある。木の根や雑薪をくべて、すき間だらけの家を温める。
■朝―麦飯、おつけ、納豆大根、しょっぱいこうこ
母ちゃんは一番鶏の声に目をさまし、朝飯の用意をする。いろりに火を焚いて自在かぎに鉄びんをかけ、じっち(舅)、ばっぱ(姑)、父ちゃん(夫)にお茶をいれる。金のないときは、お茶のかわりに白湯か麦湯を入れる。続いておつけのなべをかける。
土べっついに朝、昼二食分の麦飯をかける。ふつうは大麦七、八、米二、三の割合であるが、水田のない百姓なので、米といえば収量の少ない陸稲と、たまに買うくず米のことである。大麦は丸麦を使うことが多いが、昭和になってから押し麦やひき割り麦もよく食べるようになってきている。丸麦を朝飯に使うときは、前の晩に七分どおりいまして(ゆでて)おいたものを米と炊きこむ。大麦のほか、あわやひえを入れて炊くことも多い。
「貧乏人の一色食い」といって、貧乏人は米を買うと他のものが買えず、米ばかり食べてしまう。そこで炊事を担当する母ちゃんの才覚が問われることになる。
おつけは、たっぷりと実を入れてつくる。貯蔵しておいた里芋、大根、にんじん、それにかけ菜、切干し大根、いもがらなどの干し野菜、土間のすみのほうに囲っておいたじゃんがら(じゃがいも)、白菜も加え、自家製の味噌を入れる。おつけが唯一のおもなおかずであることも多いので、実が少ないと家族に文句をいわれてしまう。
これに、白菜やたくあんのしょっぱいこうこを添える。たまに塩納豆や干し納豆、納豆大根がつくと、たいしたごちそうだ。
写真:冬の朝飯
上:白菜漬とたくあん、納豆大根、/下:麦飯、おつけ(大根、にんじん、里芋、ねぎ)
出典:君塚正義 他編. 日本の食生活全集 9巻『聞き書 栃木の食事』. 農山漁村文化協会, 1988, p.140-144