聞き書 埼玉の食事 入間台地の食より
■茶摘みと茶づくり
五月十八日ごろから茶摘みがはじまり、二〇日間くらいが最盛期である。一芽一芽手で摘みとる手法だから、五反も六反もの茶園を摘み終えるには家族労働だけではとても片づかない。そこで石田家では、近隣の町や東京の八王子などから中年の奥さんたちを泊まりこみで雇い、一番茶を摘む。
製茶は、大正十年ころからほとんど機械化されて、手づくりの茶はほんの一部である。田場所からやってきたお茶師の男衆たちが機械を扱う。まず、摘んだ茶の葉をその晩に蒸し、粗揉機にかけて粗もみし、そのあと再揉機にかけて中もみし、最後に整揉機にかけて仕あげもみをする。お茶師は四人一組でこの仕事をするが、機械が動きだしたら食事をするひまもなく、自分の分担のところで機械を見ながら立ち食いとなる。いっときも目が離せない。この状態が一四時間続いて、四人のうちの二人が交替する。二人は残って次の二人と組んでさらに働き、二八時間の長時間労働になる。昼四人、夜四人の八人で組めばいくらか楽なのだが、たいがい六人で働く。茶師たちは、眠くなると冷たい井戸水を飲んだり、水に足をつけたりして眠気をはらう。
遠来のお茶師や摘み手を迎えての昼飯は、ふだんよりおかずが多くなる。麦飯、味噌汁に身欠きにしんの煮つけ、大豆と切りこんぶ、切干しいも(蒸したさつまいもを干したもの)を入れた煮つけでもてなす。魚類が手に入りにくいので、身欠きにしんなどを大束で買いおきしておいて使う。
写真:茶摘みどきの昼飯
上:大豆と切りこんぶと切干しいもの煮つけ、たくわん/中:身欠きにしんの煮つけ/下:麦飯、味噌汁(京菜、わかめ)
出典:深井隆一 他編. 日本の食生活全集 11巻『聞き書 埼玉の食事』. 農山漁村文化協会, 1992, p.115-118